Complete text -- "有罪と犯罪の成立"

01 July

有罪と犯罪の成立

 PtoP有罪判決で期待されるPtoPビジネス利用の促進という見出しがあったので、どこの国の刑事裁判でどんな判決が出たのかと思いきや、MGM Studio vs. Groksterのことでした。でも、これ民事裁判じゃなかったでしたっけ。それに、民事責任を負う基準を明示しただけで、P2Pを違法だとしたわけではないのですよね。こういう誤解を与える表現を堂々と公開するところは、ちょっと問題ですね。誤報といわれてもしょうがないでしょう。
 法的な議論にかぎらず、概念や用語を的確に用いるということは、誤解をまねかないためにも、必要なことなのです。議論の場面だと、そもそも議論が成立しないですから。法的な議論にかぎっていえば、違法かどうかの限界線を厳密に引こうとすれば当然概念の正確性がより要求されるように思います。曖昧なことばでは、限界線も曖昧になります。そうすると、そういう議論では、どうしても変な言葉遣いをされると、つい敏感に反応しちゃうのです。
 そんなこといってると、どっかの技術屋さんは、技術屋は法律に口出しするなということかとお怒りなるのですが、そうではなく、議論が議論として成立するには、きちんとした言葉を用いましょうということだけなんです。ネットワークに関する議論で、IPアドレスや環境変数をきちんと理解せずに議論しても、なんら有益な成果を見込めないでしょう。同じことなんです。だったら、お互い間違いに気づいたら、注意しあっていけばよいことなのです。

 ただ、法律関係の方でも、法的な概念を厳密に使用されない、あるいは適当に使って誤解を多くの人にもたらしている人もかなりいるようです。
 例えば、不真正不作為犯における作為義務の根拠として、よく法令、契約・事務管理、条理といわれるのですが、この最後の「条理」をかってに道徳や倫理に読み替えてしまって、なんでもかんでも作為義務を認めてよいのだ(一応、作為との同価値性でしぼるのですが)、と豪語するなんてことがあります。あるいは、社会的相当性の判断においては、倫理性、道徳性の判断がされるので、反道徳的なときは、社会的相当性がない、とか。
 でも、条理とか、公序良俗というのも、やはり「法」なので、法でない道徳や倫理と混同されると、条理とか公序良俗もさぞ迷惑なことだと思います。作為義務も、あくまで法的な義務として論じているのですから、その点を忘れてしまっては、もはや議論にならないのです。社会的相当性も、社会通念による判断に依拠させはするものの、やはり法的な許容性を問題にしているのです。弁護士の方でも、ときおり違法=反道徳と勘違いされている人がいますが、どうも、かつて受験勉強のときに、大塚説を金科玉条のごとく暗記しただけで、そこに語られていた法理論をきちんと理解することをされなかったことが大きいようです。

# ふだんの講義でも、裁判の帰結としての有罪・無罪と、実体法上の判断(不可罰ないし犯罪の成否)を使分けてるのですが、こういったこともきちんと区別しないとはやり誤解を招く場合が多いようです。

 ところで、この記事というかコラムというか、内容的には当たり前のことで、これで新規性が認められて評価されるなら、この判決が出る前から、某情報通信会社に同様のことを説明してきたσ(^_^)は、優秀なコンサルとして、某コンサル会社のように高額のコンサル料を請求できるかもしれません(^_^)√☆ (^ ^; ナンデヤネン!? 
02:58:16 | dolus | | TrackBacks
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