Complete text -- "blogとロールズ正義論"

21 May

blogとロールズ正義論

 匿名性に関する議論を聴いていてちょこっと思ったのが、ロールズの正義論でした。ロールズの考えがどうのこうのなんて、とても無理なのです。そうではなく、ロールズの正義論にみられる方法というか議論の手法というのが、ちょこっと頭に浮かんだのです。

 昔は、正義とは何かとか議論されていましたし、ちょっと前までは、正義論を論じる正しい方法はなにかという議論が盛んでした。でも、ロールズの正義論では、その出発点は、各個人のもっている正義感で、各人多様な正義感をお互いにすりあわせていきながら、一定の方向を見いだしていこうというように議論を転換したように思います。
#本当は違うのかもしれません。法哲学者からみると、ちがうぞという異論があるでしょう。


 blogを利用して議論しようとする人が最近では増えてきているようですが、これはまさに各人の正義感を出発点にしてお互いの意見をすりあわせていくという方法論に、比較的なじむような気がします。このような意見や正義感覚のすりあわせでは、各人の意見・感覚の表明を謙虚に受け止め、すりあわせていくだけなので、別に匿名であっても、なかっても、どちらでもかまわないのです。むしろ慎むべきは、いたずらに自己の立場に拘泥することです。
 blogでは、コメントでは、十分な理詰めができるわけではないし、本文でも、十分な論証をしていくには、きわめて使いづらいものです。しかし、簡単な意見表明や感覚の表明、感想文としては、そこそこの機能を果たすように思われるのです。それがゆえに、意見の相違は相違として受け止めておくにとどめておけばたりる気がします。むりやり反論しようとすると、十分な論述がしにくいがゆえに、かえて議論のすれ違いが起こっていくのではないかという印象を持っています。
10:17:26 | dolus | | TrackBacks
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