Complete text -- "法律の「立ち位置」?"

21 May

法律の「立ち位置」?

 法律に立ち位置があるなんて知りませんでした。もしあるとすれば、それは上位規範である憲法の原理なのでしょう。あるいは、法律が紛争解決のためにあるとか、行政・司法を規制する機能があるとかということでしょうか。

 法的な議論あるいは問題解決において、もし「立ち位置」があるとするば、それはまさに具体的な解決基準に関する立場=基準の提示でしかないのです。しかし、法的議論で重要なのは、そのような問題解決基準の背後において、どのような利益考量をしているのか、制度的な背景(歴史的な背景や比較法的な背景など)をどのようにふまえているのかということです。これらを考えるときに、どのように問題をとらえるのかという問題の切り口もあります。たとえば、プロバイダ責任を通常の共犯論という切り口から攻めるのか、不作為犯からせめるのかということです。しかし、このことも「立ち位置」ではないでしょう。
 
 法的な議論、法的な思考で重要なことは、具体的な利益考量をどのように精緻にバランスさせるのか、理論化するのかということ、あるいはある解決策が他の諸問題に影響しないのかするのかということを広汎に思いを巡らせることができるのかということで、そこにたんなる主義・主張と区別されることになります。
# 情報関係が専門とされている法学者のなかには、解釈論ができない、やっていけいないから、とりあえず手を出してみたという人がかなり紛れていて、業界関係者のなかで「有名」人になっていたりします。でも、解釈論の質が悪いと、情報関係の法的議論の質も悪くなるので、裁判所に受け入れてもらえなかったりします。注意しましょう。

# 法律実務では、判例や学説の状況を把握して、問題解決を図っていくことができればたります。なので、実務家のなかには、それが議論できれば学術的な論文になるのだと誤解している人たちもいますし、若手研究者にもそのような論文を書く人がいたりします。そういう人たちには、元裁判官の中野次雄先生などの論文を読んでもらいたいものです。

 ネットワークにおける社会的な有害行為の問題をとっても、うわっつらだけの議論とか、似非社会学のような議論が跋扈していたりします。しかし、犯罪学や社会学のまっとうな議論をきちんとふまえて話がかき消えてしまったりしています。研究者がこれらの問題へアプローチするときに重要なのは、自らの本来の領域の過去の蓄積をきちんとふまえて取り組むことにあるような気がします。たとえば、うわっつらだけ、われ窓理論をふりかざしたりするようなことでは、マスコミやワイドショーでの取り上げ方と大差なく、なんら有益なものは生み出さないことになります。
09:58:14 | dolus | | TrackBacks
Comments

高橋郁夫 wrote:

法律に立ち位置があるとした高橋郁夫です。

法律が特定の定め方(特定の解釈)をしていることによって、加害者特定のためのコストがかかる場合、その法律が、加害者特定のために一定の「立ち位置」を有しており、コストを増加しているという表現であるとご理解ください。

われながら、見事な比喩であると自画自讃しております?
05/22/05 01:10:50

悪しき先輩 wrote:

>うわっつらだけの議論とか、似非社会学のような議論が跋扈していたりします
だから「足場を固めて誠実にちゃんとやれゴルァ」という意味では「立ち位置」が必要だという小生独自の見解はいかがでしょうか。足元が定まっていなければ立てないはずですから(苦笑。

最近の「有名人」の中には,基本的文献の読了すら怠り,お手軽なネット上の情報(大抵いいかげん)をコピペして自説とする方が出現するようになり,それを信じてしまう技術者の方が多く,憂慮しています(こっちは脚注ギャグに使って楽しめますが…笑…)。
中には英文テキストの目次だけを引っ張ってきて論旨と逆の引用(誤読)をしたり,明らかな西海岸風ノリのギャグなのに現実例として引用(?)したり,条文解釈の「説明」が講演するたびにコロコロ変遷する……とおよそ法律家らしからぬ方も出現するようになりました。
ただ,そういうお手軽いいかげんな見解の方が,センセーションなので聴衆受けするから,一部の「有名人」引っ張りだこで儲かるんですよねぇ。困った現象です。_| ̄|○

でも,そういう困った人達は,白浜や越後湯沢に来ないから(中身のないのがばれるから…笑…),両コンベンションの質は維持されると思うのが救いです。
05/22/05 10:34:29
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