Complete text -- "共同正犯は共犯か正犯か(続)"

17 November

共同正犯は共犯か正犯か(続)

 今週から生活環境が少々変わったせいか、午後9時前に睡眠となり、明日へはつなぐことができなかった。ラスト・クリスマスをみることもできなかった。
# WHAM!のLast Christmasは、去年は楽しかったのにということなので、lastは「去年の」という意味が強いのだが、ドラマのほうはどういう意味か、青井の病気とも関係して少々気になるところではある。今週の展開はどうすればわかるのか?

 12歳の息子に指示を与えて強盗をしたという判例である。これについてはいくつか評釈もあり、論文も出ているので、詳しいことはそれらをみてもらえばよい。気になっているのは、子供を利用した犯行について間接正犯を認めた判例を受けて、間接正犯性を否定していること、そして実質的な諸事情(従犯か共同正犯かの区別の議論と同様のもの)を考慮して、共謀共同正犯を肯定したということにある。普通なら、間接正犯か共犯かというときは、教唆犯かどうかということで問題にしてきたのが、この事案では共同正犯かどうかをも問題するに至っている。
 このような判例の考察方法は、通説的な、共同正犯はまずは正犯であり、正犯論から確定されるべきという理解から離れ、共同正犯も(広義の)共犯であり、共犯論の枠組みから確定していけばたりるという方向になった(以前からそうだったともいえるが)という印象を強く持たされるのである。
 しかし、そうすると今度は共同正犯が正犯とされる理由と実質的な要件はなにかということが問題となってくる。客観的な行為支配性にかかわる事実のみを問題とするのであれば、なお従前の通説的な立場でもいくことは可能かもしれない。しかし、この判例でもそうであるが、ときおり裁判では、犯行の利益の帰属を問題にして正犯性の論拠とすることがある。分け前をどのようにしたのかというのは本来事後的事実のはずで、これが行為の正犯性にどのような形で影響をおよぼすのかということはなかなか理論構成が難しい。いっそうのこと、共謀意思主体説に立ち返り、責任(罪責)の重大性というメルクマールを狭義の共犯と共同正犯の区別の指標とするなら、可能かもしれないが。。。。
04:16:32 | dolus | | TrackBacks
Comments
コメントがありません
Add Comments
:

:

トラックバック