Complete text -- "共同正犯は共犯か正犯か"

14 November

共同正犯は共犯か正犯か

 どうでもいいことかもしれないけれど、たまたま同じ週に二つのゼミで共同正犯の問題を扱って気になったので。一つは共犯関係からの離脱、もう一つは12歳の子供に強盗を指示して実行させた親に共同正犯が認められた判例(最決平成13年10月25日刑集55巻6号519号)。

 まずは、共犯関係からの離脱について。
 報告者は、因果関係の解消一本槍でこの問題を処理すべきというある意味では多数説の立場でも、かなり徹底したものです。狭義の共犯だけでなく、共同正犯の場合にも、因果性の解消によって共同正犯からの離脱を判断するということは、共同正犯の成立要件でもっとも重要なことは共犯の因果性ということになります。離脱の問題は成立の問題の裏返しでもあるのです。もちろん、狭義の共犯にあっても共犯の因果性は必要ですから、そうすると、狭義の共犯と共同正犯を区別するのはなんなのかということになります。(明日に続く)
 とくに因果関係の解消という観点から、共同正犯の成立は否定するけれども、幇助犯の成立は肯定するという見解や、共犯の因果性をまったくゼロにする必要はないとする見解によると、(共犯の)因果性というのは程度問題があるのかという疑問につながります。おそらく相当因果関係説をとる論者の多くは、事実的なつながりのなかに相当性があるのかどうかを判断しようとするだけで、事実的なつながりに程度の問題が潜り込む余地などあるのか、という疑問が浮かびます。すると、共犯の因果性と単独正犯の因果関係は質的に異なったものではないのかということも疑問として浮かんできます。
 だったら、最初から、因果関係は事実的なつながりではなく、規範的な関連性を問題にすればたりるということにして、単独正犯でも(広義の)共犯でも規範的な帰属判断のみを考慮するというのが素直ではないかということになります。一部の遡及禁止論や規範的障礙論も、事実的なつながりとしての因果関係の判断のなかに、こういった問題を押し込めようとすることに無理があるので、すべてを規範的な帰属判断に解放する方が、これらの考えをより適切に取り込めるのではないかという気もします。ただ、それで当罰性を満たすことができるのかということはさらに検討すべき課題かもしれません。
05:54:41 | dolus | | TrackBacks
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