Complete text -- "研究の持続可能性"

07 November

研究の持続可能性

持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点というのは、千葉大学社会文化科学研究科が申請して採択された21世紀COEプログラムである。福祉社会の持続可能性が主題になっている。今度の火曜日にシンポが開かれる。たんに言葉が似ているというだけでもちだしが、先日、同僚の方(専門は法学ではない)と話しをしていて話題になったのが、研究の継続性、持続的な研究。
 昨今の社会科学系統は、専門職大学院(法科大学院、公共政策大学院、会計専門大学院、経営専門大学院等)の設置が一つの流れとしてあって、そのような実務的は志向に勢力を注ぐことが、今後の研究内容にどのように影響をおよぼすのかというもの。その方は、基礎研究がないがしろにされて、小手先の研究が大手を振ることに懸念を表明されていた。とくにこれまでの基礎的な研究の集積が崩れてしまうのではないか、と。
 以下は全部自分のことは棚上げしている。人を批判することはたやすいのだ。でも、自戒も込めておこう。
 刑法でも、目先の解釈論さえ何とかという感じで、小手先の研究にはしる人もいる。それでも、実はそのような研究によくあるのは、目先の問題すらなんらきちんと解決できていないことが多いということである。解釈論として雑で、深みがないのである。すぐれた研究論文は、基礎的な研究を土台として発展したもの、基礎的な理論へ言及というものが少なからず存在している。
 お薦めの若手の研究でいうなら、内田幸隆氏と森永真継氏(具体的な論文名は適宜検索すればわかる)。
#東大出身の人たちは適宜評価されていくので、あえて除外。

 前者は、背任罪という手垢のつきまくった領域から法益論や財産犯の体系論を構築していこうという意欲が一連の研究にみられる。しかも、法史学的なアプローチや比較法的アプローチにおいてもそつがない。
 後者はまだ大物論文が一つしかないので、これからであるが、システム論的なアプローチを背景として帰属論を構築しようとしているように思われる。

 いずれも、刑法各論の領域が研究主題となっているが、基礎理論の構築を志向するところに共通性がある。この前、はじめて各論(といっても情報刑法とかサイバー刑法といわれるのかもしれない)の論文をまともに書いたが、このあたりはむずかしかった。はやりだからといって安直に手を出す者も多いが、なかなか質の高いものはないのもうなずける。結局、そうした安直さが研究の持続性を喪失させるのかもしれない。
#なかには紙幅(掲載原稿量の上限)で不十分な者もいるが、それはまた別問題。また、英米法やドイツ法の基礎知識がなく、比較法研究が満足にできないというのはそもそも論外。
16:10:38 | dolus | | TrackBacks
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