Complete text -- "情報をぬか漬けにすると毒が増す?"

17 October

情報をぬか漬けにすると毒が増す?

 民法教員のタテマエ? 2nd ed.では、昨年末のエントリーにいまだにコメントがされて議論らしきものが展開されたとかで、
情報が消費されてしまわず残るということについても恐怖を感じている

ということです。
 長い間くすぶりつづけているので、「炎上」ではなく、「燻蒸」とかそうでないとか。でも、燻蒸もわりと短時間でおこなわれるので、「くすぶっている」としか表現できそうにないです。燻蒸ではなく、燻煙とか、ぬか漬けとかの加工は、長期間の保存を可能にしてくれますし、フグの卵巣のように毒のあるものでも、ぬか漬けにすると毒が抜けて美味しく食べることができたりするのですが、どうも情報の場合は、かえって毒気が増して、恐怖を呼び起こすこともあるみたいです。


 問題のエントリーの内容は書かれた本人が言われているように普通の感想なのですが、もうすこしアレンジすると、規範の実効性とか、妥当性といった話や、規範のあり方などへと展開することも可能です。

 ある行為を成文で規制しようとする場合、一定の目的があって明文化しようとするのですが、できあがった条項が当初の規制目的を十分にとらえているものなのかということは、検討することが必要です。これが憲法的な問題へと展開すると、過度の広汎性の話へといったりします。そうでなくとも、できあがった条項が遵守されたとしても、当初の目的を達成されなかった場合には、意味がない無駄な規制をしてしまったことになります。
 つぎに、ある局面において、だれがルールを制定する権限があるのかということも問題になります。マナーだという話になると、管理者がルール化するのはおかしなことになるわけです。駅構内の管理者がどこまで利用者の行動を規制することができるかということも考えみることはできます。
 より根本的には、法と法律の問題へも発展させることができるものとして、あらゆる規則を明文化する必要があるのかということも考えないといけません。例えば、エスカレータでは他の利用者に危険をおよぼすような利用をしてはいけないという不文のルールがあるのであれば、それを一々事細かに明文化することが必要かどうかも考える必要が出てきます。停止して利用している人の脇を通過することがもし危険な行為だとしても、それだけを禁止してしまうと、その反射的効果として、その他の危険な行為態様が許容されているとの認識を生み、前記の不文のルールの実効性が事実上喪失することもあります。
 どうも最近の政府や役所の対応をみていると、最後の観点から問題があるような立法(法律だけでなく、ガイドラインの含む)があるように思えるのは気のせいでしょうか。

# 脇を駆け上がったり、駆け下りたりするのは、脇を空けたり、手すりをつかんだりとかして、ある程度対応可能ですが、のぼりエスカレータのおりくちで立ち止まるのだけはやめてほしい、と思う今日このごろ。後ろの人がぶつかってはじめて事態に気づいてのくのですが、後続の人がこけたら、エスカレータの上の人たちはたぶん将棋倒しになります。
04:09:58 | dolus | | TrackBacks
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