Complete text -- "鱧の造り"

05 September

鱧の造り

「京都 雅のしずく」という番組を見ていたら、ある料理屋が隠し包丁を工夫して、鱧の骨を全部(約300本)取り去ることができたとあった。これによって骨切りせずに調理できるので、これまで出すことのできなかった鱧の造りを提供できるようになったとか。
 鱧自体、一手間も二手間もかかるが、骨を全部とるのはさらにかなりの手間がかかるであろう。そうすると、単品としての鱧の造りの値段もある程度想像がつく(単品では食べさせてもらえない店ではあるが)。京都の料理屋を支えてきたのは、こういった手間・サービスに対して相応のお金を払う人たちであったのかもしれない。
 料理の値段自体、手間・サービスが大半をしめていて、そこに金を払っているのだけど、一般にはどうもそういう感覚を持っている人は少ないみたい。場所柄だけで平気でとんでもない値段をふっかけたり、手間をかけていない料理に高値を払って喜んだりしている人たちが多い気がする。
 テレビなどの紹介でも、タレントや若いお姉ちゃんたちが、大げさなリアクションだけで宣伝し、それによって行列ができたりするのだからしょうがないといえばしょうがない。

 ベチコさんたちといった京都のお店は、たしかに鴨川の川床での料理ではあったが、その雰囲気だけで、料理やサービスはその場所にふさわしいものとはいえなかった。作りおきの料理や寿司を平気で出していては、川床と庭園がなくというものである。このあたりは経営が経営だからしょうがないのかもしれない。もっとも、外国の人にはあまりわからないので、ベチコさんたちは喜んでいたが。
#昔、祖父に連れられていった貴船の川床の印象が強いのかもしれないが、ほとんどの料理が作りおきというのは、あまりにあんまりであろう。女性従業員も、着物を着ているわりには、どたばたしているのも、おかしかったが。その前にいったことのある京都の料理屋が大市なので、それと対比しすぎているのがいけないのかもしれない。

 で、思い出したのは、大学院生時代つとめていた会社のそばのコーヒー店です。そこは、当時の相場である1杯300円〜350円をこえる500円の値段設定で、くつろげる雰囲気と上質のコーヒーを提供していたが、その新宿にあった本店は、バブル期のせいか、場所柄のせいなのか、700円でも混雑して、客に対して十分なサービスを提供できないので、1000円に値上げして客数を減らしたいと考えているという話をきいたことがあった。実は、このあたりが飲食店のサービスとそれに対する価値づけの変わり目だったのかもしれない。
06:07:00 | dolus | | TrackBacks
Comments

kumakuma1967 wrote:

この「ちゃんと金を払わない」風潮はどこから来たんでしょう?
日経新聞社によれば「7月の企業向けサービス価格、88 カ月連続でマイナス」ってことで、人員不足のソフト開発でも発注単価が下がってます。どうもデフレの原因はそのままで、海外の景気に支えられて多少設備投資が伸びているだけみたいですね。
個人でも企業でも「対価というものは人のサービスに支払われるものだ」って事を忘れて構造改革しているかも。
09/10/05 14:16:25

ね wrote:

歴史的には、越後屋(三越)が定価販売なんていう悪習を始め
その画期的なやりかたに、田舎人たちが飛びついたのが敗因でしょうな。

○ックの「スマイル=0円」かもしれませんが
サービスはタダではありえないのです。コストかかりますからね。

もうひとつの要因は、「日本は世界で最も成功した社会主義国だから」でしょうかね?
能力評価をしない(できない)社会ですから。
09/14/05 04:11:35
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