Complete text -- "緊急避難と権利基底的社会"

03 June

緊急避難と権利基底的社会

 緊急避難は、その国の社会・法システムを反映する側面があります。緊急避難を認めない、あるいは、法的性格としてせいぜい責任阻却であるとする考えは、あくまで個人の権利保障の絶対性を要求し、権利間相互のトレードオフを認めないものです。個人は自己の権利を防衛するためであれば、緊急避難行為による侵害を正当に排除することもできるのです。自らのわずかな財産や権利を守るためには、他人の生命やその他重大な権利を犠牲にすることも辞さないというものです(カントやノージックの考えからすると、このような方向になるでしょう)。
 緊急避難を違法阻却として構成する場合は、権利間のトレードオフを認め、その正当化を利益衡量のみに求めるならば、権利の最大化のためには権利侵害を大幅に許容するものとなります。このような考えを貫くときは、最終的には(社会的ないし精神的もしくは肉体的)強者の権利保護を実質的に容認することになります。カルネアデスの板の事例において、最後に板を確保できるのは、腕力の強いものであり、この者の実力行使が正当な行為とされるのです。
#ゼミでは、権利にも弱肉強食を妥当させるという意見がありました。


 少なくとも、個人の多様性を尊重しようという理念は放棄され、すべてが数値化された権利の大小により決せられ、さらに力のない者が、社会的連帯のゆえに、忍従を強いられることを容認するものではないかとの疑念が残ります。
 たしかに、わずかな利益侵害を容認することで、生命等の重大な利益が保全されるのであれば、譲歩する余地はありえ、そのかぎりで社会的な連帯を要求しても、なお、個人の権利、自由を保障する社会といえるでしょう。問題は、社会的連帯をどの程度容認していくのか、法システムの基底にどのような社会*を想定するのかということにあるようです。

井上達夫「共同体の要求と法の限界」千葉大学法学論集4巻1号(1989年)121頁以下参照
17:21:01 | dolus | | TrackBacks
Comments
コメントがありません
Add Comments
:

:

トラックバック