Complete text -- "瀧沢説の財産犯体系(続)"

28 May

瀧沢説の財産犯体系(続)

# しばらくほったらかしていたのですが、ちょっとだけ続きを。

 所持説は、経済的利用関係に注目して、物に対する事実的な握持それ自体を保護すべきであるとします。しかしながら、物に対する事実的な握持それ自体がただちに物に対する利用収益の可能性に直結するわけではないといえます。やはり法的な世界では、法的な正当性に裏付けられてはじめて経済的経済的な利用収益が可能なのではないでしょうか。法主体としての個人に当該財物の所有権が帰属することによって、個人はその財物を経済的に利用することができるのであり、財産犯の法益侵害性は領得行為によって、所有権の帰属を阻害することにあると解されます。
 この意味で、領得行為は所有権を侵害する行為であり、所有権侵害とは別に領得行為の意義を認めること(例えば、林幹人)は不要ではないでしょうか。


 瀧川説は、財物の経済的価値の侵害に着目しつつも、これを保護法益の所有権から基礎づけようとするものであり、その方向は適切なものであるように思われます。「財物が他人の所有に属する関係が、財物という意味において財産上の要件となっている」(瀧川・111頁)からこそ、他人の支配という事実的状態を独自に保護することは必要でないといえるのです。
 しかしながら、価値に対する支配可能性に注目するあまり、財物概念を管理可能性にまで拡張することは必要ないでしょう。例えば、権利も財物であるとして、他人の預金通帳を利用して銀行から預金を引き出すことは、銀行に対する詐欺罪の他、窃盗罪を構成するとされます(瀧沢・109頁)。これでは、所有者が他人に貸与している物を窃取ないし詐取した場合には、借主に対する窃盗罪ないし詐欺罪だけでなく、所有者に対しても窃盗罪が成立するということになってしまいます。法益侵害を厳密に分析すれば、あるいはそのような立論が可能かもしれませんが、それならば、二項犯罪はそもそも規定する必要すらないことになってしまいます。価値に対する支配といっても、やはり媒体に化体した限度において問題とする必要があるのです。
 また、権利の横領として、倉荷証券を所持する者が物を処分する場合、他人から保管を委託されている預金通帳を利用して銀行から金銭を引き出す場合をあげられます(瀧川・137頁)。しかしながら、倉荷証券の対象となっている物、金銭という物を領得したことによって、これらの物の所有権の帰属を阻害したと構成する方が適切なように思われます。
#より厳密にみれば、倉荷証券の横領+対象物の横領、預金通帳の横領+金銭の横領かもしれません(要、検討)。
 
06:35:36 | dolus | | TrackBacks
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