Complete text -- "学問としてのforensics"

23 May

学問としてのforensics

 digital forensicsやinformation forensicsの紹介や話をきいていると、そこでは、技術的な手法やアプローチあるいはその法的な裏づけなどに焦点があてられます。プラグマティックな手法が盛んなアメリカにおける状況をベースにしたものが多いためにそのような話になるのかもしれません。あるいは、まさに使用されている技術的な手法であることによるのかもしれません。
 しかしながら、当面の技術的な手法や運用、法制度だけに目を奪われていては、おそらく学問的な発展は期待しえないように思われます。たしかに当座の運用や手法の開発だけをみれば、今なにをしているのかだけをみていけばたりるのですが、新しい問題への展開、一定の新たな制度的枠組みの導入、未知の問題への対応などをきちんとしていこうとするときには、理論的な枠組みを構築しておいたり、あるいは体系的な枠組みを検討しておくことも必要になってくることが多いようです。


 法律学であっても、日常的に法が運用されているということだけでものごとが片づくわけではなく、理論的あるいは体系的な枠組みの裏づけのもとで(無意識であっても)具体的な運用がなされており、新たな問題への対処もそのような裏づけがあってこそ、適切な対応をなしうるのです。
 道具を使うときにその原理を知らなくてもよいのと同じで、法律家でもそのようなことができない人は多いのです。でも、そういう人が新たな問題への対処をするとき、違和感を覚える解決をいうことも多いようです。例えば、アメリカのナプスターの民事上の代位責任の話を、日本の刑法における共犯論に混ぜ込んでしまって議論を展開するなどということは、よくみられることです。

 ところが、プラグマティックなアメリカであっても、学問的レベルを意識させるような書籍や原理的なことを扱う論文をみると、ネットワークや情報に関するフォレンジックでなにをしているのかという話だけではなく、一定の体系化、理論的裏づけを考察していることがしばしば見受けられます。例えば、ちょっとした教科書でも、Locardの交換原理から出発して、その有効性などに言及したり、技術的な仕組みや手法に拘泥せずに、問題解決の視座を提供していくことに力点が置かれていたりします。

 おそらく、情報ネットワークに関するフォレンジックでも、法律でも、研究ということになれば、実務的なやり方や手法だけを概観しても意味はなく、過去の集積をふまえた上で、現在直面している問題へとアプローチし、具体的な解決策や手法に理論的な基礎を確立したり、問題解決の視座を提供することにあるように思います。
# 情報ネットワークに関する法的議論では、このことが欠落しているものが目につくようです。

# 今年度は、P2Pとアクセスプロバイダを関連づけて刑事責任を検討するということで、研究助成をもらっています。そのアプローチを話してみても、その意味をきちんと理解される実務家は少ないのではないでしょうか。

# 経済刑法の領域で、後輩が実務家より論文の執筆を誘われたのですが、執筆期限の設定が短く悩んでいました。そうすると、別の者が、学術論文を意識するとその期限ではかけないけれども、実務家流の論文となれば、立法理由みて、それに関する学説・判例を整理すればたりるから、書けるよ、とアドバイスしていました。簡単に言えば、こういうことなのかもしれません。
03:59:30 | dolus | | TrackBacks
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