Complete text -- "法システムにおける法主体"

18 May

法システムにおける法主体

 個人的法益に対する罪の法益侵害性をどのように理解すべきかは、一つの問題です。
 構成要件的結果と法益侵害を同一視することから、法益侵害性を事実的にとらえるべきとする立場からすると、保護法益はあくまで事実的に把握されなければならないことになります。そこには、法的評価、規範的評価の介在する余地はないこととなります。

# 規範的評価を行為についておこなう行為無価値論の立場からは、このように主張しても、それほど具体的妥当性に問題はないでしょうが、あらゆる客観的事象をそのものとして(もしかすると、このような論者たちは、カントのいうDing an sichを人は認識できると考えているのかもしれません。)とらえるべきという結果無価値論(徹底しなくとも、日本ではそのように考えている立場は多いでしょう)からは、その立場を徹底することは難しい気がします。

 しかしながら、犯罪行為の客観的側面を事実的に理解すべきだという考えは、犯罪が規範的評価であって、法規範システムのなかに犯罪と刑罰が組み込まれていることを過小評価しているように思われます。


 ヤコプスのようなシステム論的な方向で法システムを構成していくかどうかは別としても、犯罪と刑罰を法システムのなかでとらえ、行為者も被害者も法システムにおける主体として位置づけるのであれば、その主体性は権利・義務の帰属という点に求めるべきではないかといえます。
 このような前提からは、個人的な法益の侵害とは、法主体に対する権利の帰属を阻害するものとしてとらえるべきことになります。例えば、財産犯では、所持の侵害・移転といった事実的な事態に法益侵害を認めることはできず、財物に対しておよぼしている法主体の管理ないし支配の移転が法主体に対する所有権の帰属を阻害することにその法益侵害の実質をみるべきことになります。財物に対しておよぼしている法主体の支配ないし管理が所有権の効果を法主体に帰属させるものであることから、支配・管理の移転が所有権の帰属効果を侵害することになるのです。
* 以上の点については、川口浩一「詐欺罪における欺罔行為の意義」姫路法学38号304頁以下参照。

#この意味では管理可能性という従来の用語は不適切かもしれません。
 
 このような理解からは、犯罪結果の行為への帰属は、条件関係ないし因果関係といった事実的な記述ではなく、法主体への権利帰属の阻害が行為者の行為へと帰属させるという規範的な言明あるいは規範的な記述であることにもなりうると思われます。
06:21:50 | dolus | | TrackBacks
Comments

悪しき先輩 wrote:

やや視点がずれて申し訳ありませんが,復讐目的で(イジメ目的で),同級生の同性2名に対し,反自然的性的行為を強いても,公知の判例で,強制わいせつ罪が成立しませんが,何か釈然としないものを感じたことがありました。
被害者2名は性的権利や自由を奪われ(極度の屈辱感)ながら,ただの強要罪というのは,何とも……m(_ _)m
05/19/05 00:20:16

dolus wrote:

 その公知の判例に対しては、学説上は反対説が多数をしめているのではないでしょうか。
# これで判例変更となると、政府の男女共同参画社会の実現をめざしているらしい政府も喜ぶかもしれません

 個人的には、現状では条例でしか規定されていない痴漢行為も含め、強制わいせつ罪関連は、性的自由・権利の侵害という点から、条文上、改正すべき時期にきている気がします。
05/19/05 05:10:39

K@HD大 wrote:

日本の刑法学においては生物・心理システムとしての「人間」と(ルーマンによれば)コミュニケーションのアドレス(システムではない!)である「人格」の「概念」が区別されていないことが議論の混乱の原因だと思います。もちろん「人格」にもいろいろな意味がありますが法的文脈においてはケルゼンに倣って権利・義務の主体と捉えるべきでしょう。法にとって重要なのはこのような意味での「人格」であって「人間」ではないということは否定できないと思われます。
#ルーマンは講義のなかで、ルーマン説と異なった社会理論を主張することは一向に構わないと繰り返し言っていたそうです。しかしそのあとに必ず次のフレーズを付け加えていました:「もしそれが可能ならば・・・」
05/27/05 00:08:20
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