Complete text -- "医療過誤におけるフォレンジックの意義"

21 January

医療過誤におけるフォレンジックの意義

 医事(刑)法なんて、あまり詳しくないのですが、人的リソースがたりないのか、わたしなんぞに医事法の研究会の報告が依頼されてきます。実体刑法に関わる議論は、深みもなく、表題のようなとりあえずの関心事でごまかすことになります。
 理論的方向としても、現在処罰可能とされている過失犯は真正な犯罪ではなく、刑罰をもって対処するのは、きわめて限定されるべきとの立場なので、再発防止に向けて対処可能な仕組みが構築できるシステムを構想することになります。その可能性の一つに、フォレンジックを組み入れるというのがよいのでは、という試論をなんの根拠もなしに述べました。

 広い意味でフォレンジックの機能をとらえるならば、インシデントに備えて、証拠を確保する仕組みを作っておくということではないか。とすると、医療過誤においても、証拠化の仕組みをつくっておくことが、医療従事者にとっても、患者側にとっても、幸せになるのではないか、ということです。
 フォレンジックは医学の世界では、法医学ということになります。そうすると、医療過誤のトラブルでまず問題なのは、解剖されないで、証拠が滅失してしまっているということです。
 報告では、日本人の文化的な背景として、死体を傷つけたくないという遺族感情がその原因ではないかと指摘しました。でも、それによって、死因すら特定されずに証拠を滅失してしまっているので、遺族側の権利放棄にちかい行動をしているのに、証拠を自ら破棄しながら医療機関に対する不信を述べるというのは、矛盾した行動でもあるのです。
 医療機関の側からすれば、過誤でないことを明らかにするためにも、解剖をしておくことは必要ですが、現状ではそのような仕組みがありません。
 フォレンジックを証拠化という点でとらえると、医療過誤で次に問題となるのは、診療情報です。ここでは、真正性を以下に確保するのかということが課題になります。
 抽象的にいえば、電子化されていようといまいと、アクセスコントロールによるセキュリティを確保する仕組みがあるかということではないかといえます。データへのアクセス(紙のカルテをみることも含めて)のログ(記録)、訂正と改竄の区別可能な仕組みをどのようにシステムとして構築できるのかということも、この関連で重要だろうということです。

 医師側の意見では、カルテの電子化は診療サービスの低下を招来する効果も持ちうる(キーボードの入力が煩雑でこれに労力をとられすぎる。手書きより速い入力システムの開発が必要)ということ、手術の記録を全部録画することは事実上無理ではないかということなどの指摘がありました。
 後者の点は、chain of custodyとの関係でも重要でしょう。実例としては、脳外科手術の撮影では、ポイントとなるところ30分弱を録画するそうです。でも、遺族からすると、数時間の手術全部の録画でないところから、録画されていないところに問題があるのだという非難をあびることになるそうです。死因の特定がされていて、それに関係する部分の映像がすべてあるなら、問題はないといえるようには思います。
09:04:23 | dolus | | TrackBacks
Comments

xmXcr29Pxc0 wrote:

KatrinE Minner om at Ã\rsaken til at jeg har valgt Ã\ midlertidig redusere arbeidstiden min til 90 %, er for at sønnen min skal slippe Ã\ være i barnehagen lenger enn jeg er pÃ\ jobb. Man mÃ\ heller ikke glemme fÃlaplses¸seektet ved at en mor velger Ã\ redusere arbeidstid eller være hjemmeværende. Man blir usannsynlig knyttet til det lille nurket, bÃ\de mor og far, men muligens mest for mor?
10/24/16 16:23:26
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