18 December

可罰的違法性の理論

　判決文の詳細はわからないのですが、久々に懐かしい概念が判決で使用されたようです。イラク派兵反対のビラを自衛隊の官舎へ配布するための敷地への立入について住居侵入罪が問われた事案で、どうも裁判所は可罰的違法性がない（記事によると「刑罰に値するほどの違法性はない」）として、無罪の判決を下したようです。この点について若干質問を受けました。
　可罰的違法性というと、一厘事件しか思い起こせない人も多いかもしれません。もしかしたら、学部の刑法の講義ではこの点だけを述べて終わりということも多いかもしれません。実際、私の講義でも、ほとんどやりません。というのは、（少なくともカリキュラムの上ではまだ履修していない）憲法の人権論をやっていないと十分理解できない判例を扱うことになるからです。
＃　同じ理由で、罪刑法定主義のところも、やりずらいものがたくさんあります。
　可罰的違法性が問題となる局面は、一厘事件のように、被害法益が軽微である場合だけではありません。むしろ理論的に、さらには実務上も重要な問題は、構成要件該当性が認められた場合にあります。利益衡量によって、違法性がまったくなるわけではないが、当該犯罪成立を認める程度の違法性はないという場合があるのではないか、そのような場合には、超法規的な違法阻却を認めるべきではないか、と考える立場があります。論者によっては、このような観点から犯罪成立を否定する（違法阻却を認める）考えを可罰的違法性の理論と呼ぶことになります。
　そして、現行憲法の導入期に、精神的自由や労働基本権と、既存の利益が衝突することがみられ、その解決の方向を示すものとして、可罰的違法性の理論が注目されたともいえます。
　わが国の学説史をみるなら、この問題は、違法の統一性を厳格に完徹するのか、違法の相対性を認めるのかという点から論じられてきたともいえます。ここで、重要な三つのモノグラフィがあります。佐伯千仞『刑法における違法性の理論』、藤木英雄『可罰的違法性の理論』、前田雅英『可罰的違法性の理論』（刊行当時までのわが国の判例の網羅的かつ詳細な分析が本書においてなされています）です。
　佐伯説は、違法性を法秩序全体をつうじて統一的なものとしながらも、現象面のおける相対性を認め、犯罪の成立を認めるためには、当該行為の違法性が刑罰という強力な対策に適合するだけの、量と質をもっていることが必要とするものです。可罰的違法性は、法益侵害が軽微な場合と、法益侵害が軽微ではないが、保全利益との衡量により軽微な違法性しか残らない場合の二つの局面であらわるとします。
　藤木説は、行為の社会的相当性からの逸脱がわずかである場合に構成要件該当性を否定するものとして、可罰的違法性論を構成します。構成要件の文言の解釈に可罰的違法性を組み込むものともいえます。
　前田説は、違法の相対性を肯定し、犯罪成立の有無を決する違法性判断は刑法独自のものであるとして、この意味で、実質的違法性は処罰に値する違法性であるとするものです。
　判例は、東大ポポロ事件（原審判決から最高裁）、都教組事件から全農林事件などの経過からすると、積極的にこれを肯定するものとはいえないのかもしれません。ただ、全面的に否定したものではないとみることもできます。実際に、いろいろ判例にあたって考えてみて下さい。
　冒頭の事件では、おそらく表現の自由との利益衡量をして、なお処罰に値するほどの違法性が残らないとしたものなのではないでしょうか。本件でそのように解してよいかどうかは、きちっとした検討が必要ですし、前提となる住居侵入罪の構成要件該当性自体も厳密な検討が必要でしょう。
　住居侵入罪固有の問題としてみれば、団地の玄関前まで行く行為が建造物ないし住居への侵入といえるかということも問題となります。新聞配達や宅配便の人たちはそこまで入っていっても、侵入としないのに、ビラを配るのはいると侵入となるのは、どのような理屈からなのでしょうか。これは住居侵入罪の保護法益とも関連して、侵入の解釈の問題となります。立法当時の理解にしたがって、社会的法益としての住居の平穏とするなら、住民を不快にする目的での立入も侵入にしてよいでしょうが、そうではなく、あくまでプライバシーとみる（具体的には、住居の平穏か住居権かという争いになります）なら、その構成はかなり苦しいものになり、住居侵入罪の保護法益を実質的に社会法益化することになりかねません。