Complete text -- "信頼の原則"

04 November

信頼の原則

判例研究で、最高裁平成15年1月24日判決を扱ったときのこと。
#事案は、黄色点滅信号で交差点を通過中、赤色点滅信号を無視して暴走してきた自動車にぶつかり、同乗者を死亡させた運転手に、業務上過失致死罪が問われたもの。

 類似事案の判例として、最判昭和48年5月22日刑集27巻5号1077頁があり、こちらは、信頼の原則を適用することによって、過失責任を否定している。
自車と対面する信号機が黄色の燈火の点滅を表示し、交差道路上の信号機が赤色の燈火の点滅を表示している場合、当該交差点に進入しようとする自動車運転者としては、特段の事情がないかぎり、交差道路から交差点に接近してくる車両の運転者において右信号に従い一時停止および事故回避のための適切な行動をするものと信頼して運転すれば足り、それ以上に、あえて法規に違反して一時停止をすることなく高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまで予想した周到な安全確認をなすべき業務上の注意義務を負うものでなく、当時法規所定の徐行義務を懈怠していたとしても、この場合における注意義務違反の成否に影響を及ぼさない。

がその要旨である。
 問題は、これに関連して、信頼の原則をどのように位置づけるのかということに話が進んでいったところ、
「新過失論からすると、信頼の原則は結果の予見可能性の対象を選別するものとして機能する」と述べた(論理的に必然であるかのような言い方で)。
 おそらく、これは某司法試験予備校のテキストに書いてあることをそのまま鵜呑みにしたのであろう。このようなことを十分な説明をせずに試験で書いたら、たぶん点数を与えることはできない。たしかに、わが国で最初に信頼の原則を導入すべきことを主張された西原博士は、新過失論をとらつつも、信頼の原則を予見可能性の問題として位置づけられていた。ただし、その過失概念を精査するなら、新過失論といえるのは、過失を違法性(構成要件)に位置づける点においてのみ認められるのであり、過失の具体的な内容は結果の予見可能性にその力点があり、結果回避義務はむしろ予見可能性に付随するものでしかなかったのである。
 むしろ現在一般に新過失論として主張されている立場は、結果回避義務を過失の実質としてとらえるのであり、行為者が基準行為にしたがって行為しているかぎり、相手も同様に基準行為にしたがって行為することを信頼して行為することが許されるとして、信頼の原則は結果回避義務に位置づけるのである。このあたり関しては、48年判決の天野裁判官の反対意見を読むとおもしろい。
#予備校本の問題なところは、藤木説をたんに危惧感説としてしかとらえていないで、過失犯の要件の精緻化への貢献、学説・実務への影響を一顧だにしていないところにもある。

 話しを冒頭の判例にもどすと、こちらは信頼の原則ではなく、結果回避可能性を否定することによって、原判決破棄のうえ無罪を言い渡した。本当は、両判決を比較して、信頼の原則による処理と結果回避可能性による処理の相違がなぜ生じているのかを扱いたかったのだが、入口でつまずいて時間切れとなってしまった。
00:20:16 | dolus | | TrackBacks
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