15 June

Light My Fire

 基礎づけるからこそ否定できる(正確な表現は失念)とは、Arthur Kaufmannの言葉ですが、刑法の議論のほとんどはこれでやっちゃえるところがあります。共同正犯の一部実行全部責任を因果的共犯論に立脚して、因果性の存在により基礎づけるという立場(共同正犯を共犯として位置づける)なら、共同正犯の成否は因果性の存否に依拠させるということで一貫します。共謀共同正犯も、承継的共同正犯も、共謀関係からの離脱も、共同実行からの離脱も、すべて因果性の視点で論じればよいのです。
 でも、この立場では、心理的因果性がやっかいなことになりますので、強化・促進のという因果性をもってきたりします。これで、共同正犯を基礎づける場合の判断はうまくいきますが、否定する場合、とくに離脱の場合はかなり面倒になります。いったん実行者の心に火をつけたとき、その心の火を消し去るのは難しいように思われます。そこで、判例等に現れた事案をもとに因果性が解消される場合を類型化することになります。それでも、因果的共犯論で共同正犯を基礎づけると、共同正犯は因果性の点では教唆・幇助と同質のもので、おそらく結果に対する因果性の度合いで正犯性を区別せざるをえなくなります。そうすると、完全に解消できなかった場合、共同正犯となるのか、教唆・幇助になるのかという問題は残りそうな気もします。

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12:12:06 | dolus | 67 comments | TrackBacks

10 June

防御的緊急避難・対物防衛

 対物防衛を正当化事由のどの領域にわりふるのか、ということは、従来は、客観的違法論と主観的違法論、あるいは、規範違反説と法益侵害説の対立として議論されてきました。このような理論構成は、正当防衛の要件としての侵害の「不正」がア・プリオリに規定されるという発想にあるものといえます。しかしながら、正当防衛の成否により、犯罪の違法性が左右されるからといって、かならずしも、正当防衛の要件における「不正」(ないし「違法性」)が犯罪の違法性に直結している必要はないともいえます。
 ここでは、正当防衛と緊急避難の原理的な相違を考慮することのほうが重要ではないかといえます。もっとも、一部の学説にあるように、どちらも利益衡量のみによってその正当化を考えるというのであれば、実際のところ、緊急避難と正当防衛の相違は量的な違い程度のものでしかなく、質的相違はないともいえます。また、社会的相当性があるというのも、同じことでしょう。このこと以上に、社会的相当性の存否について、その実質的な判断を覆い隠してしまっているのでは、感覚的判断をしているだけでしかなく、説得的な根拠を構築することは困難です。さらに、このような理解には社会的相当性の概念史的な問題もあるといえます。

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03:54:03 | dolus | No comments | TrackBacks

09 June

ぁゃιぃ本

 相当因果関係説において、狭義の相当性判断を(1)行為に存する結果発生の確率の大小、(2)介在事情の異常性、(3)介在事情の結果への寄与の大小により判断するという立場があります(前田・総論183頁)。確率の大小や寄与の大小が結論に対してどのように関係するのか、その判断の具体的構造が不分明であるという問題や、事実的な寄与ではなく、端的に規範的な帰属判断に移行すべきではないかという批判があるのは、ともかくとして、一応このような判断の枠組みをとることは可能です。
 しかしながら、このような判断枠組みが折衷的相当因果関係説と両立するのかといえば、答えは否定的になります。前田説はあくまで客観的相当因果関係説に立脚しながら、狭義の相当性判断を具体的な経過を参照しつつ判断しようとするものです。これに対して、わが国で主張されている折衷的相当因果関係説は、そもそも狭義の相当性を広義の相当性判断に集約させ、行為の危険性と結果との対応関係の相当性を判断しようとするものです。
 そのため、このような折衷説の構造からすると、折衷説の枠組みおよび理論構成、論証をとりつつ、狭義の相当性判断を独自に取り出し、行為後の具体的な経過を判断するということは、矛盾することなるため、前田説の判断の枠組みを採用することはできないのです。そのようなことを無批判に、なんらの論証もなく、結合させてしまっている本があるのですが、いかがなものでしょうか。2ホップくらい論証しないといけない気がします。

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04:16:41 | dolus | No comments | TrackBacks

03 June

緊急避難と権利基底的社会

 緊急避難は、その国の社会・法システムを反映する側面があります。緊急避難を認めない、あるいは、法的性格としてせいぜい責任阻却であるとする考えは、あくまで個人の権利保障の絶対性を要求し、権利間相互のトレードオフを認めないものです。個人は自己の権利を防衛するためであれば、緊急避難行為による侵害を正当に排除することもできるのです。自らのわずかな財産や権利を守るためには、他人の生命やその他重大な権利を犠牲にすることも辞さないというものです(カントやノージックの考えからすると、このような方向になるでしょう)。
 緊急避難を違法阻却として構成する場合は、権利間のトレードオフを認め、その正当化を利益衡量のみに求めるならば、権利の最大化のためには権利侵害を大幅に許容するものとなります。このような考えを貫くときは、最終的には(社会的ないし精神的もしくは肉体的)強者の権利保護を実質的に容認することになります。カルネアデスの板の事例において、最後に板を確保できるのは、腕力の強いものであり、この者の実力行使が正当な行為とされるのです。
#ゼミでは、権利にも弱肉強食を妥当させるという意見がありました。


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17:21:01 | dolus | No comments | TrackBacks

31 May

工藤静香の理論

 ゼミでいったら女子学生を中心に受けたので。。。
 実務では、目配せによっても共謀関係が認められ、共同正犯とされ、このようなMUGO・ん…でも共謀を認める考えを指しています。
ここまでがゼミでの話だったので、以下少々敷衍しましょう。命名を思いついたオリジナルは、悪しき先輩さんです。

 正確には、共謀共同正犯の成立要件としての共謀にかかる工藤静香志向理論といいます。本来、共同正犯は共謀共同正犯を認めるとしても、その正犯性のゆえに、共謀の認定は正犯としての処罰に値する実体が必要です。しかし、実務上、共謀関係は、「目と目で通じ合う」ことによっても認められることがあります。おそらくは、「そうゆう仲」であることを背景にして、場合によって、目配せ等あうんの呼吸による共謀を認めているのでしょう。このようなあうんの呼吸によって共謀関係を認める以上、反対に、共謀関係からの離脱も、あうんの呼吸によって認めることが妥当であり、それを因果性等を理由にして頑なに拒否するのは、理論的な一貫性を欠くものといえます。



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23:25:44 | dolus | 5 comments | TrackBacks