Archive for May 2005

29 May

最良の刑事政策はよい教育政策にある

 ,,Die beste Kriminalpolitik ist eine gute Sozialpolitik.''
これは、リストがDer Zweckgedanke im Strafrechtのなかでいった言葉(のはず)です。それから1世紀以上のちに、現在のわが国の状況をみて、西原先生は、その古稀祝賀パーティの席上、表題のように述べられました。
 その本意はどのようなものかはわかりませんので、以下は私なりの理解です。
 教育といっても、学校だけでなく、家庭、地域社会等いろいろな局面があるので、どこかだけでやるというものでもないのです。本当は、全体的な構想を示したりすることが必要になってきます。わが国の場合、現場での裁量がきわめて小さかったり、中央指向的な地域もあったりとしますので、政府のほうから綱領的な指針、具体的な施策等必要に応じて実施していくことが必要かもしれません。この意味で、教育「政策」なのだと思います。


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15:53:32 | dolus | No comments | TrackBacks

まちゃまちゃ

ひとつ!と、摩邪風にやろうとは思ったけど、どぎつくなりすぎるのでやめ。
# でも、一定年代以上だと、ひと〜つ、となると、人の生き血をすすり、てなるのかも。
まぁ、あんまりなめてかかると痛い目を見るかもしれないというお話です。

「職務質問は強制処分」と、大学の先生をなめてかかっていた学生たちがそろって答えととか。どうも、行政警察と司法警察という言葉を知らないのか、警職法をみたことがないのか、よくわかりませんが、ごく基本的なことも知らず、えらそうにしていたそうです。なぜ、職務質問がらみの一連の判例が問題となっているのかという問題の所在自体がわかってないのでしょうね。

はじめてききました。訴因維持命令。ちなみに、ATOKの誤変換で、訴因いじめ異例。たしかに、訴因をいじめるのは異例なことでしょう。いずれにせよ、このようなことを平気で答案に書いてくるそうです。
現行刑訴法のどこをどうひっくり返したらこのような概念を導出できるのか、あるいは、だれかこんなことをいっている学者がいるのかとあちこち調べまくったけれどわからなかったそうです。で、ひょっとしたら、ひょっとするということで、ある本をみたら、書いてあったとか。なんの論理も理由づけもなく。自分の頭で考えずに盲信すると足下をすくわれるのです。


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00:57:54 | dolus | No comments | TrackBacks

23 May

学問としてのforensics

 digital forensicsやinformation forensicsの紹介や話をきいていると、そこでは、技術的な手法やアプローチあるいはその法的な裏づけなどに焦点があてられます。プラグマティックな手法が盛んなアメリカにおける状況をベースにしたものが多いためにそのような話になるのかもしれません。あるいは、まさに使用されている技術的な手法であることによるのかもしれません。
 しかしながら、当面の技術的な手法や運用、法制度だけに目を奪われていては、おそらく学問的な発展は期待しえないように思われます。たしかに当座の運用や手法の開発だけをみれば、今なにをしているのかだけをみていけばたりるのですが、新しい問題への展開、一定の新たな制度的枠組みの導入、未知の問題への対応などをきちんとしていこうとするときには、理論的な枠組みを構築しておいたり、あるいは体系的な枠組みを検討しておくことも必要になってくることが多いようです。


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03:59:30 | dolus | No comments | TrackBacks

21 May

blogとロールズ正義論

 匿名性に関する議論を聴いていてちょこっと思ったのが、ロールズの正義論でした。ロールズの考えがどうのこうのなんて、とても無理なのです。そうではなく、ロールズの正義論にみられる方法というか議論の手法というのが、ちょこっと頭に浮かんだのです。

 昔は、正義とは何かとか議論されていましたし、ちょっと前までは、正義論を論じる正しい方法はなにかという議論が盛んでした。でも、ロールズの正義論では、その出発点は、各個人のもっている正義感で、各人多様な正義感をお互いにすりあわせていきながら、一定の方向を見いだしていこうというように議論を転換したように思います。
#本当は違うのかもしれません。法哲学者からみると、ちがうぞという異論があるでしょう。


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10:17:26 | dolus | No comments | TrackBacks

法律の「立ち位置」?

 法律に立ち位置があるなんて知りませんでした。もしあるとすれば、それは上位規範である憲法の原理なのでしょう。あるいは、法律が紛争解決のためにあるとか、行政・司法を規制する機能があるとかということでしょうか。

 法的な議論あるいは問題解決において、もし「立ち位置」があるとするば、それはまさに具体的な解決基準に関する立場=基準の提示でしかないのです。しかし、法的議論で重要なのは、そのような問題解決基準の背後において、どのような利益考量をしているのか、制度的な背景(歴史的な背景や比較法的な背景など)をどのようにふまえているのかということです。これらを考えるときに、どのように問題をとらえるのかという問題の切り口もあります。たとえば、プロバイダ責任を通常の共犯論という切り口から攻めるのか、不作為犯からせめるのかということです。しかし、このことも「立ち位置」ではないでしょう。
 
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09:58:14 | dolus | 2 comments | TrackBacks