Archive for 18 May 2005

18 May

法システムにおける法主体

 個人的法益に対する罪の法益侵害性をどのように理解すべきかは、一つの問題です。
 構成要件的結果と法益侵害を同一視することから、法益侵害性を事実的にとらえるべきとする立場からすると、保護法益はあくまで事実的に把握されなければならないことになります。そこには、法的評価、規範的評価の介在する余地はないこととなります。

# 規範的評価を行為についておこなう行為無価値論の立場からは、このように主張しても、それほど具体的妥当性に問題はないでしょうが、あらゆる客観的事象をそのものとして(もしかすると、このような論者たちは、カントのいうDing an sichを人は認識できると考えているのかもしれません。)とらえるべきという結果無価値論(徹底しなくとも、日本ではそのように考えている立場は多いでしょう)からは、その立場を徹底することは難しい気がします。

 しかしながら、犯罪行為の客観的側面を事実的に理解すべきだという考えは、犯罪が規範的評価であって、法規範システムのなかに犯罪と刑罰が組み込まれていることを過小評価しているように思われます。


[Read more of this post]
06:21:50 | dolus | 3 comments | TrackBacks

瀧川説の財産犯体系

 瀧川説は、財物について徹底した管理可能性説を採るようですが、その財物概念、さらにはその背後にある財産犯論には、注目すべきものがあるようです。
 たしかに財物は管理可能性のある物として、各種エネルギーをも財物とすべきであるとしますが(刑法各論(増補・1968年)108頁)、人の身体が財産権の対象とならないことから、人の労力は除外され(107頁)、暴行、脅迫をもって債務免除の意思表示をさせることが利益強盗にあたる(128頁)とされていますので、債権や役務の提供は利益になるようです(しかし、他方で権利も財物とされている。109頁)。
 ここで注目すべきなのは、管理可能性の意義に関して、「財産権の対象として支配ができる物という意味、即ち、経済的効用のある物」とされ、物の経済的効用(価値)が財物の本質であるとされているところです(108頁以下)。
 
[Read more of this post]
04:36:22 | dolus | 2 comments | TrackBacks