Archive for January 2005

21 January

解剖

 最狭義のフォレンジックは法医学ということになるのでしょうか。その中心にあるともいえる解剖のわが国における現状は、惨憺たるものともいえます。
 解剖といっても、法医解剖と病理解剖とがあります。法医学と病理学と別の学問分野でもあります。病理解剖は、病死の原因、疾病の本態の解明、治療効果の判定などのためにされます。基本的に承諾解剖なので、遺族の承諾の範囲でしか解剖できません。
 きくところでは、病院側が病理解剖をしたいと申し出ても遺族が拒否をしてできなかったのに、後日遺族が医療過誤だと訴えることも多いそうです。ちなみに、法律上、病理解剖をしていて、異常死(過誤の疑いがあるなど)だとなれば、その段階で病理解剖は中止して、警察に届け出なければなりません(その後、検視、法医解剖へとすすみます)。なので、病理解剖をしてもらうということは、医療過誤の疑念を払拭したり、あるいは過誤の存在を明らかにし得るので、死に方がへんだというときにはやってもらえばよいのにと思うのですが、そう思わない日本人のほうが多いようです。こういうゆがんだ権利意識の解明は、法社会学の格好の対象だと思うのですが。。。
 
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09:37:22 | dolus | No comments | TrackBacks

医療過誤におけるフォレンジックの意義

 医事(刑)法なんて、あまり詳しくないのですが、人的リソースがたりないのか、わたしなんぞに医事法の研究会の報告が依頼されてきます。実体刑法に関わる議論は、深みもなく、表題のようなとりあえずの関心事でごまかすことになります。
 理論的方向としても、現在処罰可能とされている過失犯は真正な犯罪ではなく、刑罰をもって対処するのは、きわめて限定されるべきとの立場なので、再発防止に向けて対処可能な仕組みが構築できるシステムを構想することになります。その可能性の一つに、フォレンジックを組み入れるというのがよいのでは、という試論をなんの根拠もなしに述べました。

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09:04:23 | dolus | 1 comment | TrackBacks