Archive for 28 October 2004

28 October

法学って超文系か?

個人情報保護法を論理的に読み解く
著者の尾崎弁護士によれば、
 
日本では、法曹界というと超文系人間の集まりだ。

だそうで、
 そもそも法曹の多くは、論理センス(論理に対する直感力)が理系人間に比べて低い傾向にある。例えば、「A and B」という論理式がある。AもBもともにtrueになったときにのみ式全体がtrueになる。では、この反対をとったらどうなるか。理系人間ならば一瞬で
not(A and B)=(not A) or(not B)

とするだろう。だが、司法試験に合格するレベルの頭脳の人間でも(従って決して愚かというわけではない)、こういう論理展開が苦手な人が多いのだ。

ということだそうだ。
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05:30:34 | dolus | 1 comment | TrackBacks

みんなKO!?

 具体的事実の錯誤の報告をきいていて気づいた。なんかみんなKOである。

 方法の錯誤を中心として具体的事実の錯誤を処理する場合に、既遂結果に対する故意への主観的帰属を問題にしようという立場を紹介していた。多少異同はあるが、行為者の認識した実行行為の危険性が現実化した結果に対してのみ故意の既遂犯を認めうるとするという見解である。
 ここでは、従来の別の意味での結果無価値と行為無価値の理解が問われていると思われる。通説・判例とされている法定的符合説は、同一の構成要件的評価を受ける場合には、すべて故意を認めるとする。しかし、この場合、その主観的側面においては、自己の実行行為より生じた結果については全部責任をとらなければならないということまでも主張することになっている。およそ人を殺そうと認識した以上、故意としてたりるとするが、端的に言えば、殺人の実行行為性の認識さえあれば、そこから生じた結果についてはすべて責任を負うべきだということである。実行行為という行為無価値に対する責任が、そのもたらす結果全てへ責任を自動的に基礎づけるというのであるから、そのかぎりで結果責任あるいは偶然責任を容認している。責任論における行為無価値一元論といってもよい。
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05:04:07 | dolus | No comments | TrackBacks