Complete text -- "同時存在の原則"

20 June

同時存在の原則

 今年の学会は、基調テーマが同時存在の原則なのかというくらい頻出していました。
 分科会で、半強制的にやらされましたし、二日目の個別報告、ワークショップと続きました。個別報告の後とかでも、いろいろ個人的に議論したので、おおよそめざすところは一緒なのかなという気はしました。
 原因おいて自由な行為の法理で、実行の着手が問題とされますが、裏側から見ると、原因行為について正当防衛できるのかということがあると思います。間接正犯類似説などで、原因行為を実行行為とする見解(実行の着手を後ろにずらしても、原因行為が行為規範違反行為であるとする見解も含む)は、これは不正の侵害といえるので、正当防衛可能ではないでしょうか。しかし、酒を飲みたい人間に実力行使で飲酒を阻止するということは、結論として変な気がします。
 例外的に、病的酩酊で暴力をふるうという者について、それを自覚しているのにあえて飲酒しようとする行為については、これを阻止することは、許されるのかもしれません。とすれば、間接正犯に類似して処罰可能なのは、このような場合だけといってもよいでしょう。これ以外に、広汎に処罰を認めるのは、従来から指摘されてきた種々の問題があり、これを解決することは困難でしょう。
 例外説は、このような場合でも、おそらく実際に結果行為にでないかぎり、実行行為はないとするので、少々結論的に不当に思っています。ただし、奥村説では、行為支配性によってこの段階で実行の着手を認めるはずですから、結論的には同じになるかもしれません(確認はしていません)。

 例外説でなお疑問が残る点は、二つあります。基本的には、禁止の錯誤類似の構成をしていこうという点と意思決定とその連続という点です。
 前者は、やはりこの立場が、責任能力において、制御能力を軽視していることを否定できないという気がします。制御能力の濫用であるなら、期待可能性の濫用に準じて処理すべきとするのが一貫します。同じ責任の話だから、流用してよいというものではないでしょう。
 後者は、時間的・場所的接着性をルーズにとらえすぎているということです。ドイツでの議論では、現場で先行行為にほとんど連続してというような場合について、時間的・場所的接着性があるとするのに、わが国の論者は、数時間数キロでもあるそうです。3日間連続して1日1回殺害行為におよぶときは、寝ることによって、意思が連続しないそうですが、寝ないでいるときは、連続しているということになるのでしょうか。どうもなんらかの実質的な考慮があるのに、それをきちんと示すことができていないように思われます。さらに、甲を殺害する意思決定をしたのに、結果行為が乙に向けられて乙に結果が生じた(例外説では、乙に対する故意で乙に結果が生じているので錯誤ではありません)とき、意思の連続はあったのでしょうか。だとすると、このような責任の判断は、抽象的な意思決定しか問題にしないということなのでしょうか。

#なお、通常の酩酊では、限定責任能力すら認められず、複雑酩酊で限定責任能力というのが実務の傾向ですので、飲酒を利用して犯罪をしようというのは、やめたほうが得策です。だったら、原因において自由な行為なんていらないかも。
17:37:30 | dolus | | TrackBacks
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